“おかしくなった土をもとに戻したい”
過去に、化学肥料や農薬の大量使用によっておかしくなった農地を
もとに戻したいという農家の思いを背景に、
微生物資材は様々な研究機関をも巻き込み、一大ブームを起こしました。
しかし、その後「効果が現れない、安定しない」という声が増え、
人々の興味は薄れ批判的な声さえ出るようになっていきます。
ほとんどの研究機関が微生物資材の実用化を諦めていく中、
私たち島本微生物工業の前身である「島本微生物研究所」は
ひたむきに研究を続け、1940年代末に日本で初めて
有効な微生物資材を開発・実用化し、
その後独自の発酵肥料や葉面散布材などの技術開発を行いました。
こうして微生物の働きと酵素の機能について私たちが長年培ってきた
研究の成果をまとめたものが、「島本微生物農法」です。
当時、ほとんどの微生物資材が失敗に終わった原因は、微生物の生態を正しく知り必要な条件や環境を整えることができていないためで
微生物による有機物の発酵や土壌の仕組みは極めて複雑で、単一種の微生物では効果を発揮することができず、また、多種類入っていればよいというわけでもなく、含まれる微生物の質とバランスが重要です。さらに、いくら微生物の質がよくても原料の質が悪かったり、配合や管理、使い方を間違えれば微生物資材としての効果を得ることはできま
島本微生物農法では、自然界で微生物によって営まれる土壌の仕組みを再現し、農作物にとって最も生命力を発揮し活き活きと育つことのできる環境を作り出すことを目的としています。そのため、島本微生物農法では古来より人類が食品醸造で活用してきた微生物を用い、自然に逆らわず、土づくりによって作物が本来備える力を最大限に引き出すことを追求します。おいしく安全で、栄養価が高く、生産性が高く環境にやさしい、持続可能な農業を実践してい
島本微生物農法の創始者である島本覚也は、“道は一つ、心理は一つ、道は宇宙の原理、大自然の生成化育の摂理である”とし、自然に逆らわない農法を基本理念とした純正な農を行うことの重要性を提唱しました。また、“土を愛し、土を養い、根本を培う農こそが人間の正しい生活の在り方を示し、国の礎である”と、人や国のあり方と農業との関係について説きま
日本は古来より農の国です。食べることは人間の基本であり、その基本を支える農に誠実に取り組み豊かにすることは、人命ひいては国を豊かにすることであると、島本覚也は考えました。島本覚也の目指した農業は、自然の恵みである微生物と酵素を応用した、自然に忠実で素直な、純正の農業であったの
現在、微生物の働きと酵素の機能について私たちが永年蓄積してきた研究成果を「島本微生物農法」として体系化しています。この島本微生物農法は国内だけでなく、世界各国で環境保全型農業技術として導入され、安心・安全な作物づくりに貢献してい
“その基を養わざれば、末は断じて栄ざるべし。
土づくり、根づくりこそ作物栽培の根幹たることをまず知るべし”
“農は国の大本にして人類最大の権威なり。
農治まって国は栄え、食ととのって、人は和平なり”
島本 覚也
“その基を養わざれば、末は断じて栄ざるべし。
土づくり、根づくりこそ作物栽培の根幹たることをまず知るべし”
“農は国の大本にして人類最大の権威なり。
農治まって国は栄え、食ととのって、人は和平なり”
島本 覚也
酵素の世界社 総本部
初代会長 島本覚也
明治32年4月26日滋賀県甲賀市生まれ
昭和49年5月25日昇天(享年75)
思想―国学者 大石凝真素美翁の高弟 水野満年師に入門、国学(古事記)の研究。宗教法人 大本に入信、宗教法人 大本滋賀主
事業―戦前、名古屋市にて総合菓子メーカー島本製菓工場経営。社団法人愛善みずほ会副会長。戦後、郷里、甲賀市水口町に戻り微生物と酵素応用による専門農場、島本バイム農場開設。島本微生物研究所、島本微生物工業株式会社、近江みずほ農業協同組合設立。「酵素の世界社」創立、同会長。月刊「酵素の世界」発行、微生物農法の本格的普及に
著書―「酵素の応用と農法」「微生物農法」「最新微生物農法」
酵素の世界社総本部
初代会長島本覚也
明治32年4月26日滋賀県甲賀市生まれ
昭和49年5月25日昇天(享年75)
思想―国学者 大石凝真素美翁の高弟 水野満年師に入門、国学(古事記)の研究。宗教法人 大本に入信、宗教法人 大本滋賀主
事業―戦前、名古屋市にて総合菓子メーカー島本製菓工場経営。社団法人愛善みずほ会副会長。戦後、郷里、甲賀市水口町に戻り微生物と酵素応用による専門農場、島本バイム農場開設。島本微生物研究所、島本微生物工業株式会社、近江みずほ農業協同組合設立。「酵素の世界社」創立、同会長。月刊「酵素の世界」発行、微生物農法の本格的普及に
著書―「酵素の応用と農法」「微生物農法」「最新微生物農法」